|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
マージー (HMS Mersey) はイギリス海軍のハンバー級モニター。元はブラジル海軍向けにヴィッカース社で建造され、Madeiraと命名されていた。 ==艦歴== 1912年8月24日起工。1913年9月30日進水。1914年2月に竣工したが、ブラジルの財政悪化により同型艦2隻と共に売りに出され、第一次世界大戦勃発直前に敵国の手に渡らないようにするためイギリスが購入した。 1914年のYser川の戦いのときはベルギー沖からドイツ軍を砲撃した。 1915年4月、マージーは同型艦セヴァーンと共にアフリカ東部へ派遣されることになった。そこではドイツの巡洋艦ケーニヒスベルクがドイツ領東アフリカのルフィジ川デルタに潜んでおり、それを攻撃するため吃水の浅い艦艇が必要であったためである。2隻のモニターは4月28日に曳航されてマルタを出発し、スエズ運河経由で6月3日にルフィジ川デルタの沖に浮かぶマフィア島に到着した。7月6日、2隻のモニターは多数の小型艦艇を伴ってデルタ内へと入っていった。途中川岸に潜むドイツ軍から攻撃を受け、小艦艇に被害が生じたがモニターには損害は無く、河口とケーニヒスベルクのほぼ中間の位置で砲撃を開始した。最初は着弾観測に当たる航空機との連絡がうまく取れず、モニターの砲撃は不正確なものとなった。一方ドイツ側の砲撃は正確であり、マージーが被弾し前部の6インチ砲が破壊された。それから少ししてようやく着弾観測機との連絡が取れ、セヴァーンがケーニヒスベルクに命中弾を与えた。しかし、着弾観測機がエンジンの故障で引き返さざるをえなくなったため、モニターも撤収した。7月11日、2隻のモニターはデルタ内に入り攻撃を行った。マージーは再び被弾し退却したが、セヴァーンがケーニヒスベルクの破壊に成功した。この後も2隻のモニターはしばらくアフリカ東部に留まった。 1918年3月から4月にかけてマージーとセヴァーンはアフリカ東部を離れアレクサンドリアに移動した。 1918年12月から1919年3月まで、ガラツィでオーストリア=ハンガリー帝国との休戦の監視に当たった。 1921年にスクラップとして売却。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マージー (モニター)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|